するめ本の館「サイコパスという名の怖い人々」 〜特別企画〜
2002年9月8日

 
するめ本の館 『サイコパスという名の怖い人々』

高橋紳吾、河出書房新社、¥667

 

(注)イタリック体の文章はすべて本文からの抜粋です。

 

地下鉄サリン事件が起こった当時、オーム真理教の松本智津夫(麻原章晃)は一体どんな人なのだろうか?そんな疑問に答えるキーワードとして見つけたのが、『サイコパス』という言葉でした。そしてこの本を見つけました。

 

0,はじめに

この本では、「困った人たち」を通称サイコパスと定義しておいても差し支えないといっています。もっともサイコパスの定義は、定義する人によって違いが出るようです。

以下の注意点は、面倒な人は飛ばして読んでください。

注意点として、『アメリカ社会で流行しているサイコパスという“診断名”は、(・・・省略・・・)学術用語ではない』とあります。学術用語ではない理由は、サイコパスという語には、それ自体で「良い」「悪い」というような価値判断が含まれているからです。価値判断が含まれていると“厳密な”学術用語ではないんですね。「反社会性人格障害」という類型の代名詞がサイコパスだそうで、「反社会性人格障害」を判定する基準が、その人格が有害かどうかという社会的価値基準を主体にしているそうです。というわけで、サイコパスは一見もっともらしい心理学の学術用語に思えますが、そうではないです。

本文中では、以下のように述べられています。以下すべて、イタリック体は本文からの抜粋です。

アメリカ精神医学会の診断マニュアルの中の「反社会性人格障害」という類型は、その人格が有害かどうかという社会的価値基準を含むものを主体にしている。現在アメリカで使用されているサイコパスは主に、この反社会性人格障害の代名詞である。したがって、厳密に言うならば、価値判断が最初にあるため学問的でない。

 

1,誰のための本か?

犯罪心理、異常心理に興味を持っている人は必見です。その他、ストーカーに困っている人、執拗な嫌がらせに困っている人、身の回りに困った人がいる人、カルト宗教に入ろうかと迷っている当事者、あるいはその家族や友人などが読むといいと思います。

 

 

2,各章ダイジェスト

[プロローグ]

サイコパスとは何か?というのを例を挙げながら、手短に説明しています。この章を読めば、本全体でどんなことを論じているのかが、大体わかります。

[1章]

殺人と異常性欲をセットに、サイコパスを語っています。例として、戦争中にゆがむ兵士の性の話があります。

とある家の中からまたも女の悲鳴が聴こえる。忍び込んでみると性交を拒否する少女を、二人の兵隊が仰臥させ、陰門に銃口を挿入してかき回しているではないか。『おい!まだ子供じゃないか、馬鹿なことするなよ』二人は笑って『やらせねえからしょうがないよ』といってこそこそと出ていった。

[2章]

自分を助けてくれる優しい人を、思い通りに操るために全身全霊を賭けてうそをつくサイコパスを紹介しています。サイコパスは他人の善意に付け込むことがわかります。この章の被害者は感情の細やかな女性ケースワーカーでした。彼女は弱い立場の人を救いたいと思い、社会福祉の勉強をしなおして、福祉ホームのケースワーカーとして働いていました。サイコパスと出会い、次第に依存され、極度の依存関係に耐えきれなくなったときに、ついに不満を口にします。見捨てられる不安からサイコパスは彼女を殺害しました。

[3章]

他の点では異常がないが、たった一つの異常行動によって他とは著しく異なった特徴を持つ人々のことをモノマニーといいます。この章ではモノマニーについて書いてあります。例えば連続放火犯の話。なかなか犯行を白状しないので、取調室で好きなだけお酒を飲ませました。

開始後二時間半、火を見るのは好きかという質問にニヤニヤしている。鑑定人は灰皿の上にティッシュペーパーを丸めて、被告人に火をつけることを許可したが、そちらのほうから、K(連続放火犯)は目をそらす。やむなく鑑定人が点火。一気に燃え上がった。Kは急な火を見て「ワーッ!」と奇声を発し、パチパチと拍手、ひじょうにうれしそうな、恍惚とした表情になる。

[4章]

多重人格者、または多重人格と疑われる者の犯罪を取り扱っています。実際には、多重人格者は犯罪を犯すことは少ないとされています。学術的な意味での精神障害者では、健常者に比べて犯罪率は少ないという記述を、どこか別の本で見かけたこともあります。(サイコパスは学術的な意味での精神障害者に属さないです)

看護婦寮の事件(殺人事件)から1ヶ月後。ホテルの6階客室の浴槽で女性の変死体が見つかった。銃殺だった。ベッドには口紅で「お願いだ。僕を捕まえてくれ。どうにも殺しが止まらない。自分を押さえられないんだ」と書かれていた。

[5章]

この章ではカルトの加害者、被害者について書いてあります。地下鉄サリン事件の実行犯はサイコパスなのだろうか?そうではない可能性が高いと書いてあります。それどころか実行犯は誰よりも心優しく、正義感に燃えていたとも書いてあります。では、正義感に燃える心優しい人が被害者になるまでには、どのような過程が存在するのか?マインドコントロールの道筋などが書いてあります。

女優シャロン・テート殺害はチャールズ・マンソン“教祖”の指示だった。教祖がハルマゲドンを予感し、それを促進させるために呪術的「血祭り」が必要だったのである。人種差別主義者・マンソンはその当時、近日中に黒人の蜂起による流血革命が起きると吹聴し、そのときには砂漠に大きな地下室をつくって、メンバーたちと潜っておく。そして戦いが黒人の勝利に終わったところを見計らって、ふたたび彼らが姿をあらわせば「無知で何一つ自分自身では出来ない黒人」は、“マンソン教団“にこの世のリーダーになることを願うだろうという奇想天外な計画を立てた。

(中略)

社会学的にいえば人種差別をする者はその社会の底辺に暮らす人たちである。自己民族の優位性を声高に主張したヒトラーのように。

ちなみに「ハルマゲドン」を一発変換すると、「春髷丼」と出てきて笑えた。ATOK14 を使用してます。

[6章]

ストーカーの心理を説明したこの章は、衝撃的な文からはじまります。

「愛する」の反対語は何か?「憎む」と答える読者がいるかもしれない。残念ながらあなたの人生経験はまだ浅い。正解は「無関心」。自分の恋愛経験を思い出して欲しい。

ストーカーを語るときに重要なポイントが、はじめから出てきます。

恋愛を語るときだけでなく、思想、宗教など、ある物事にとらわれる、虜になるという呪縛的現象は、一般に理由を説明することが不能であることが多い。

また、関心を寄せるほうは寄せられるほうより圧倒的に情報量が多い。

親子関係を例に取ってみよう。子が親へ関心を持つことより、親が子へ関心を持つ度合いが多いのがヒトの親子だが、親は圧倒的に子供に関して正確な情報を有しているのに比べて、子供は親を神話化させられ、偽の情報しか与えられないという立場にある。だから子供は年頃になって「神話」のウソに目覚め、親を責める。これが思春期問題である。子供はこの時期を過ぎると急速に親への関心を失っていく。

親子関係を例に出したあと、ストーカーについて説明してあります。

理由はわからない。たんなる徴(しるし)。それが狩りの始まりである。ヒトは狩りをするとき獣の習性や住処の情報を手に入れ、優位に立った。この原始的な習性を保存するのがストーカーだ。好きになる理由はわからない。しかし捕獲したい欲求を抑えることができない。自分は風下に立って相手に素性を明かさない。

 

[エピローグ]

どうサイコパスを見分けるか?どうやってサイコパスを生まない教育をするか?を書いてあります。サイコパスの特徴を表にまとめてあります。

1,口達者・表面的な魅力
2,過去における「サイコパス」あるいは類似の診断
3,自己中心性・自己価値の誇大的な感覚
4,退屈のしやすさ・フラストレーション耐性の低さ
5,病的に嘘をついたり人をだますこと

6,狡猾さ・正直の欠如

7,良心の呵責あるいは罪悪感の欠如
8,情緒の深みや感情の欠如
9,無神経・共感の欠如
10,寄生虫的な生活様式
11,短気・行動のコントロールの欠如
12,乱交的な性関係
13,幼少期からの行動上の問題
14,現実的で長期的な計画の欠如
15,衝動性
16,親として無責任な行動
17,数多くの結婚・離婚歴
18,少年時代の非行
19,保護観察あるいは執行猶予期間の再犯の危険が高い
20,自分の行動に対する責任を受け入れることができない
21,他種類の犯罪行為
22,薬物やアルコールの乱用が反社会的行動の直接の原因ではない

Hareによる精神病質「サイコパス」チェックリストの項目

各項目は、0−2の3点法で採点し、臨床的には合計点で評価する。点数が高いほど「サイコパス」の特性をより多くもっていることになる。

サイコパスを生まない教育については、いまの教育の二面性も障害のひとつではないか?との見解を示しています。

大人たちによってなされる「隠蔽される性(純潔教育)」と、わき上がってくる「性衝動」という基本的な対立図式が根底に存在するからだ。あらゆる局面で「建前」と「本音」の使い分けを大人がやめないかぎり、子供たちに「心の教育」などできるはずがない。

他には、メディアの影響も無視できないとあります。

 

 

3,独断・偏見で「見どころ」に意見します

サイコパスとは反社会的な行動をする人のことなので、状況のとらえ方次第で、身の回りにもたくさんいます。いや、いるはずです。しかし正義の名の下に隠れてしまっていることもあります。

ある14歳少年が問いかけた。「どうしてヒトはヒトを殺してはいけないの?」

驚いた大人たちは多い。しかしこの少年の発言は、じつに深い問題をはらんでいた。人間の社会は二つの指令によって構成されてきたと指摘するのは社会学者の宮台真司だ。

「仲間を殺すな」「仲間のために敵を殺せ」

正義の名の下に戦争を仕掛ける国家が現実にあります。いまに限らず、歴史上そのような国家がなかったことはないように思います。『なぜヒトがヒトを殺してはいけないの?』に対する答えとして、世の中を見て順当な答えをすると、「いや、殺していけないことはないよ。ただし、仲間は殺すなよ」ということになるのでしょう。さもなくば、アメリカ大統領ほどのサイコパスはいません。大衆の意をあやつり、自分の味方につけ、大量虐殺を行っています。しかし、見方によってはその見方が正しいのかもしれません。サイコパスという言葉自体に価値判断が加えられているので、とらえ方次第でどうとでもなります。(先に挙げた表で判断をすると、アメリカ大統領はおそらくサイコパスではないでしょう。しかしヒトラーはサイコパスに分類されるはずです。彼らには共通部分も多いように思えます)

サイコパスを論じるときには、どの立場にいるか、サイコパスの定義をどうするかで、判断が全く変わってくるように思います。気をつけなくてはいけない点だと思います。

 

 

4,日常生活へどう活かすか?

サイコパスの立場にいれば、いくら残虐なことをやっていても「自分が正しい」と思えるのだと思います。実際に犯罪者の多くは、自分の犯した犯罪を正当化した理由をいくらでも語るそうです。

そのような事実を日常生活にどのように活かせばいいのかを考えます。サイコパスを教訓に、サイコパスとは関係のない日常生活にこの教訓を活かしたいと思います。

やはり、自分を信じることに尽きるのではないでしょうか。事態が自分の望まない方向に進んでいても、相手がそれを望んでいれば、例え私の望まない事態でも、相手にとって見ると望ましい事態に思えます。そのようなことは日常生活の端々に起こっています。(頑固になるのとは違って)自分の意志をしっかり持って、みんなが自分の正義を持っているのだという認識の下に、判断を下していきたいです。

【あっき】